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2014年2月4日火曜日

ハワイ州は、日本国の48番目の都道府県じゃないか?

日本には、47の都道府県があります。大きさはさまざまで、アメリカのメイン州よりも大きなもの 【例:北海道】から、米ロードアイランド州よりも小さなもの【例:東京都、神奈川県、沖縄県、大阪府、香川県】までです。ほとんどは、米ニュージャージー州とコネチカット州のあいだくらいの大きさです。

 最後に県になったのは沖縄で、昭和47年にアメリカから日本へ返還されました。沖縄はよくハワイと比較されます。というのも、ハワイも最後にアメリカ領になった島だからです。ハワイと沖縄には共通点がたくさんあります。

 文化、方言、先住民族、食事が、〔本土〕とはおおきく異なること。日本では、本土とは、九州、本州、四国、北海道です。

 本土からひじょうに遠いため、ほとんどの人々が飛行機に乗っていくこと。

 異国情緒のある土地として、国内からの旅行者にも人気があること。

 ともに、大規模なアメリカ軍基地をかかえていること。

 ここまでくれば、那覇市とホノルルが姉妹都市であることにも納得だと思います。むしろ不思議なのは、首都である東京の姉妹都市がニューヨーク市であり、おなじく首都であるワシントンDCではないということでしょう。

 ハワイには、一度行ったことがあります。僕の経験からいえば、ハワイは日本の48番目の県でもおかしくありません。なぜなら、滞在中の72時間、僕の話したこと、読んだもの、一緒にいた人はみんな、日本人か、日本語を話すアメリカ人だったからです。

 2000年、僕の勤める日本の会社では、例にもれず日本的な恒例行事が行われることになりました。海外への社員旅行です。旅行代理店は、このような企業による士気向上のための旅行を見越して、すべてをパッケージ化しています。なので、会社はほとんど何もしなくていいのです。料金を払いさえすれば、あとは代理店がすべてを用意してくれます。パッケージを選べば、細かなことはすべて責任をもって手配してくれるのです。おかげで英語の苦手な社員も、アメリカ人の社員も、旅行を楽めるというわけです。

 タイムテーブルはすべて、朝から夜まで、最終日までの3、4日間でした。そのうち2日間は週末です。いかにも仕事人間の日本人らしいバケーションでしょう。いやはや。ことごとく前もって決められています。一人で火山を見にいきたいですって?そんなことはお忘れください。強制ショッピングをご用意しておりますよ、旅行者さま。といった具合です。

 飛行機を降りた数分後から、プロフェッショナルなツアーガイドが、日本語だけを話し、会社の旗を高くかかげ、搭乗口からチャーターされたバスへと案内してくれます。そこから、ショッピングにも、レストランにも、ホテルにも、夜遊びにも、ビーチにも、観光スポットにも、そして最後にはふたたび飛行機にまで、案内してくれます。どこへ行っても、店員は日本語を話すし、看板まで日本語です。これは、どのデパートも、そのほかの場所も、旅行代理店が事前に入念なチェックをしているからです。そして店側も、おなじ旅行会社のバスに乗った日本人が、朝から晩までひっきりなしにやってくるのに慣れているからです。

パッケージ・ツアーというものは、たいてい、料金的にお得です。もしすべての飛行機代、ホテル代、文化を味わう旅、バス代などアラカルトで好きに組むと、高くつくでしょう。これはおそらく補助金によるものと思われます。大きな旅行代理店が、旅行客をつぎつぎと商業地域に送る見返りとして受けとっているものでしょう。かつては、これを理由に、日本人以外には追加料金が課せられることもありました。外国人は、ツアー中に散りばめられた金になるショッピング休憩を避けるからという理論です。

 日本人が旅行で大金をはたくようになったのは、80年代後半くらいからです。20世紀末に、日本にある高級輸入品が、アメリカでの価格とくらべて大幅な値上がりを始めました。場合によっては2倍、3倍ものもありました。そのため、旅行の理由が『ショッピング』だというのも、あながちおかしなことではなくなったのです。現在でも、高級輸入品はアメリカにくらべて高いままです。しかし、輸入にかかる費用を考えても、こうは高くなりません。

 妻にハワイに行きたいか聞いてみました。彼女は社員旅行でバリに行ったことがあります。彼女は、典型的な日本人からはかけ離れていますので、ハワイは嫌だと言いました。だから僕のようなガイジンさんと結婚したのでしょうが。

ヌサ ドゥア ビーチ
バリは本当に地獄か?
「バリ旅行もイヤだった。無理やりビーチへ連れていかれたの。蒸しあついのが大嫌いなのに。同僚がいるのもイヤだったわ。一緒にいなくちゃいけなくて、楽しんでいるフリまでしないといけないの。仕事は仕事。バケーションはじぶんの時間であるべきだわ。なんで仕事場で会わなきゃいけない人たちと、休日まで一緒に過ごさなきゃいけないわけ?」

 おそらく、彼女には今の主婦の仕事がぴったりだと思われます。同僚や顧客とうまくやっていくことは、まちがっても彼女の得意分野ではありません。それに、バカげたものは甘んじて受け入れないのです。彼女の辞書では、ほとんど誰もが愚かモノです。その中には、僕も入っているかもしれません。

飛行機から降りるとき


日本人の国際線乗務員が、お別れのあいさつをしてくれるでしょう。もしあなたがアジア人に見えれば、日本人と見なされて、

「お疲れさまでした」

などと日本語のあいさつをしてくれるでしょう。もしアジア人に見えなければ、日本人ではないので、日本語よりも国際言語とイワれている英語のほうがいいだろうということで、

”Thank you for flying!”

とあいさつしてくれます。僕の記憶が正しければ、ハワイのときにはちょっとアレンジされていて、日本語でも英語でも「マハロありがとう」が追加されます。それは、ハワイ語でありがとうということです。

 飛行機から降りるとき、フライトアテンダントは僕のコーカソイド系の顔を見るなり、英語であいさつをしてくれました。

”Mahalo!オオキニ Thank you very much!”

 それが僕の聞いた最後の英語でした。ハワイという、アメリカの州で。

ホテルへのバス


僕たちのガイドはコーカサス系で、日本のガイドのユニフォームを着て、税関の外で待っていました。お決まりの赤い旗と、僕たちの会社名が書かれた看板を持っていました。その姿はまるで、お母さんアヒルが子供のアヒルたちを集めているようです。僕たちはバスに乗り、出発しました。

 ガイドさんは、ぜんまい人形のように、バスの正面近くの通路に立つと、マイクを手にして、ガイドを始めました。ふと彼女が僕を見ました。グループで唯一の外国人です。すると彼女は、口をすこし開けて固まってしまいました。これの意味は「どうやって日本人じゃない人に日本語を話せっていうの?」です。前にも目にしたことがある表情です。しかし、いつもだったらサービス業界にいるネイティブの日本人が見せる表情です。

 僕は日本語で言いました。日本語なら問題なく理解できると。彼女はほっとしたようでしたが、はじめの数分間は、僕の目を見て、ほんとうに日本語が分かっているのか確かめている様子でした。

 彼女のガイドは流ちょうなだけでなく、タイミングも完ぺきでした。彼女が話題にしている光景が、魔法のように右から左からあらわれるのです。言葉にした数秒後に、です。話を止めるでもなく、早めるでもなく、遅くすることもありません。間違いなく、彼女はこのルートを何百回とこなしています。ここで、彼女が僕のことを心配した理由がわかりました。もし日本語にくわえて英語、もしくは英語だけのガイドをしようものなら、タイミングがずれて、ガイドがスムーズにいかなくなってしまうのでしょう。

強制ショッピング

ゴルフクラブの販売
ヤスイ!ヤスイ!イラッシャイマセ!
ここまでスーツケースを開けることさえできませんでしたが、それが叶ったのは初めのショッピングエリアについたときです。そこは屋内のショッピングモールでしたが、名前はなく、テーマ性も感じられませんでした。しかも、客はみんな日本人なのです。ここはおそらく『招待客限定』のショッピングモールで、地元住民やアメリカ人旅行客は入店を許されていないか、入り方すら知らないのでしょう。この手の『旅行客限定』商業施設は中国で見たことがありますが、アメリカにあるとは驚きでした。

 店員たちは、右から左から僕たちをはやしたてます。決まり文句は「ヤスイ!」と「イラッシャイマセ!」で、ガイドさんの日本語とくらべるとひどいものです。ほとんどはワンフレーズの日本語です。ガイドさんも休むことをしません。販売交渉の通訳を買って出ているのです。値段はすべて円とドル両方で表記されていました。

 僕は、すこし時差ぼけがあった (東京~ハワイ間で19時間差があるんです) ので、買い物をやめて、ベンチに座り、ガイドさんがみんなを連れてバスへ戻るのを待っていました。

 同僚の一人、健二さんは、すでにツーリスト魂を燃やしていて、ガイドブックにあるすべてのフレーズ
  • “How much?”いくらですか?
  • “Can you make it cheaper?”安くできますか?
  • “Do you have a blue one?”青いのはありますか?
などを、ショッピングモールにあるすべての店舗で実践していました。

ボイズ・ナイト・アウト(オトコたちの夜遊び)

僕たちはほとんどホテルでは休みませんでした。というのも、健二が部屋に来て、言うのです。日本語の話せるコンシェルジュがロビーにいて、彼の付き添いで『オトコたちの夜遊び』ツアーが企画されている。日本人に『アメリカの夜遊び』を紹介するツアーらしい、と。

 なんと健二はすでに僕の分のチケットを買ってしまっていたのです。

「英語が話せて、アメリカの文化を知っている人の助けが必要なんだ!」

とのこと。どうにも、そんなものは必要ない気がしました。ホテルのテレビでさえ、前もって日本語訳されたホテルチャンネルにセットされていたし、衛星放送は、日本の放送をよく受信していました。目黒の家にあるラビットイヤーアンテナよりもよっぽど優秀です。

 しかし気持ちとは裏腹に、ついていくことに。いつも思うのですが、日本人はアメリカに対して型にはまった印象を抱いています。それは日本やアメリカの大げさなテレビドラマや映画の影響があるのでしょう。ひじょうに気になるのですが、アメリカ人のバケーションは、日本人の目にはどう映っているでしょうか。

 ともかく、一緒に行くことなったのは、同僚の日本人5人のグループです。健二は僕にパンフレットを手わたすと、ガイドの運転するレンタカーが、午後9時15分ぴったりにホテルを出発すると言いました。

 このパンフレットは、日本人に植えつけられたアメリカへのイメージを払拭する役には立ちません。アメリカの『オトコたちの夜遊び』、前もって準備されている日本語のパンフレットの内容は、
  • アメリカン食べ放題、サーフ&ターフ
  • 裸のアメリカ人、巨乳の金髪美女
  • 巨大で危険なアメリカの銃

午後10時:ステーキとロブスター

ツアーの始めは食事でした。アメリカ人がいかに食べるのか体験しにいこうというわけです。おおくのアメリカ人は、ほかの国のちまちまとした少ない量の料理をバカにします。しかし日本人は逆です。暴飲暴食と『質より量』のアメリカンフードを指さして大笑いです。スターバックスが日本に上陸したとき、『ヴェンティ』のVサイズはメニューにありませんでしたが『ショート』サイズはありました。とある人気コメディで、二人のキャラクターがアメリカン・レストランで食事をしていると、次から次に料理が運ばれてきて、だんだんバカげたサイズになっていくというのがあります。ともかく、このネタの落ちは『ポテトのL』というツッコミです。アメリカのフレンチフライには、4人家族が一週間生きていくのに十分なほどのカロリーがあるのです。僕の妻は、アメリカの多すぎる食事をやり玉にあげては、このネタの話をします。

最近では、日本もアメリカのスーパーサイズ現象に侵食されつつあります。日本のマクドナルドは、メガマック 〔4枚のパテ〕 やダブル2倍クォーター4分の1パウンダーポンドを売りだしました。ダブル・クォーターなら、いっそ『ハーフ0.5ポンド』と呼ぶべきでは?ダメです。なぜならほとんどの日本人は英語がわからないか、英国式の測量法に疎いからです。この脂肪やたんぱく質によって、日本の若者たちの身長は、今までと比べておおきく伸びるかもしれません。親世代の日本人は、つつましい食生活を送っていますからね。

 ただ残念なことに、アメリカ人もそうなのですが、いま言った日本の若者たちは、縦に伸びるよりもはやく横に大きくなってしまうのです。

イメージです。食べ放題のS&Tは、こんなに美味しくなかった
暴食は罪だと知りながら、お金を払ってアメリカの食事をすることになったのです。もう夢中で食べました。夜遊びの最初の目的地はレストランで、売りは食べ放題のサーフ&ターフ、つまりロブスターとステーキです。ロブスターとステーキが選ばれたのは、アメリカらしさを強調するためでしょう。ロブスターもステーキも、普通は少ない量でも高価ですが、アメリカではびっくりするような安さ、もしくは量で提供されるのです。メインランド州にある、サーフ&ターフ食べ放題のレストランを見たことはありますか? 僕もありません。狙いどおり、このレストランの客は日本人ばっかりのようでした。

 僕は二皿半のサーフ&ターフを食べました。ステーキの質はイマイチ、筋と脂が多すぎます。ロブスターはまずまずでした、やや小さめでしたが。ほかのものを食べるには、今の皿を食べきらなければなりません。付けあわせのマッシュポテトや野菜もあります。すぐにお腹いっぱいになってしまいます。

 3皿目はもうムリでした。お腹がパンパンです。健二は5皿半も平らげていました。しかも、なんともおいしそうに食べていました。まるで、アメリカの死刑囚の、最後の晩餐のようです。制限時間がなければ、健二は6皿目も食べきったのではないでしょうか。とにかく時間切れで、次の目的地へ向かうことになりました。

 そのレストランは基本的にビュッフェ形式で、テーブルには担当ウェイターがいたわけでもなく、90分の食べ放題は前払い制です。にもかかわらず、ウェイターが各テーブルに「チップは通常20%です」と告げてまわっているのです。日本にチップはありません。しかもそれを強いるとは。ましてや20%をすすめるとは。サービスといったって、マクドナルドよりもすこしマシだったくらい(スタッフが一度だけ水を注いでくれました)で、なんともとっぴな要求です。僕は同僚たちに、10%でも大丈夫、20%なんて気前が良すぎる、と言いました。ですが彼らはウェイターを傷つけたくなかったのか、結局25%を置いていきました。

 記念写真では、僕らは両手にフォークを持ち、片方にはロブスター、もう片方にはステーキです。思い出の一枚が撮れました。

午前0時:ストリッパー


イメージです。本当のは、美しくなかった
二番目の目的地へ向かう車の中、運転手はツアーガイドと、旅に役立つポイントを紹介してくれました。もちろん日本語です。ホノルルの、ほかの面白いスポットも教えてくれました。

 二番目の目的地は「ジェントルマンズ・クラブ」でした。ジェントルマンズクラブというのはあだ名で、ストリップクラブ業界が、80年代後半にみずから名乗りはじめたのです。上品に聞こえるように。スタッフの着ているタキシードはレンタルでしわしわ (ドライクリーニングが必要ですね)、さらにステージやテーブルはなんとも悪趣味です。それでいてスタッフは、エントランス料金が高いのは当然といった様子です。問題なのはスタッフです。彼らのサービスにくらべれば、しわしわのタキシードのほうがまだマシです。きっと上質なサービスに関しては、上っ面しか教えられていないのでしょう。立ち振る舞いこそ一流に見えますが、サービスの本当の意味がわかっていません。大切なのは『押し売り』ではなく『お客様第一』でしょう。もはや、タキシードと派手なステージが光るさまは『豚に真珠猫に小判』としか思えませんでした。

 このツアーは前払い制のはずです。しかし10代のぶっきらぼうなドアマンは、日本人だけには入場料を要求していました。なんという差別でしょう。そのドアマンは、僕が日本人グループの一員とは気付かず、なにも要求してきませんでした。それ以来、いかに多くの日本人ハワイ観光客がぼったくられているのかと考えると、切なくなってしまいます。

 そのクラブでは、最低でも二杯の高すぎる飲みものを注文しないといけません。時差ぼけにくわえて、いかにも旅行客向けの真っ青なお酒(薄めかと思いきや、とても強い)を二杯飲み、しかもお腹はいっぱい、とてもショーを楽しめる状況ではありません。女性たちは、うす暗いステージで踊っています。そのクラブは暗すぎて、ステージがどれだけ汚いか、イスやテーブルが実際どれだけ汚れているのかも、わかりません。ふと、このイベントはツアーの初めにやるべきだったのではと思いました。マズローの欲求段階説では、食欲は性欲に勝ります。食欲が満たされすぎてしまうと、今度は睡眠欲が性欲に勝ってしまうのです。

 ステージはなんとも悲しいものでした。女性はもう若くなく、やる気もなく、胸のシリコンは、体のほかの部分の衰えを隠せてはいません。ダンスは不ぞろいで、エネルギーはありません。彼女たちのやる気は、たとえるなら、10代の子供たちが、暑い夏の日に、学校でランチを食べるときと同じくらいです。

「これはダメだ。出よう。」

「運転手が迎えにくるまで出られないよ。」

「彼はどこにいるんだ?」

「ほかの日本人グループをイベントへ連れてってるよ。だけど、健二は楽しそうだね。」

 本当にそうでした。健二は、ガーターベルトが目に入るなり、ドル札をゆっくり滑り込ませていました。注意深く、平等に、みんなに分配しているようでした。ダンサーだけでなくウェイトレスにも、さらには男のバーテンダーたちにまで、すべての曲のたびにです。彼が変態のような笑みを浮かべているのを見て、僕たちは、健二は人生最高の瞬間を楽しんでいるんだと思いました。しかし、このようにお金をもらっても、誰一人として、ちょっとしたサービスをしたり、感謝の意を表したりしないのです。

ガーターベルトのチップ
入れておかないと厳しく叱られるよ
僕たちは、サービスに関してははるかに厳しかったので、財布は閉じたままにしていました。そうしていると、あるダンサーが(まるでゾンビのようにゆっくりと踊っていました)、ステージの上でかんしゃくを起こし、なぜチップをくれないのかと観客を叱りつけはじめたのです。

 これはもう、今すぐ脱出しなければなりません。まだ飲んでいなかったドリンク代を支払い、クラブの外で運転手を待ちました。僕たちはぼったくられた元をすこしでも取ろうと、テーブルのお酒をぜんぶ飲み干して、ピーナッツやチップスをポケットに詰め込んできました。

 クラブの中では写真禁止だったので、ぶっきらぼうなドアマンの写真を、思い出として撮りました。

午前2時:銃


 運転手は遅れて迎えにきました。ようやく外で待たずにすみます。ドアマンにずっと睨まれていたのです、45分間以上も。運転手は、日本人のサービスに対するハードルの高さを理解していて、何度も謝ってきました。前の客は、べつのフラ・ダンス・ショーを見にいったそうです。それを聞いて、僕たちのスケジュールも変えられるのか尋ねましたが、彼はまた謝り、すべて前払いになっていると言いました。

BB弾を持つ少年
その夜、最後の目的地は射撃場でした。僕はアメリカ人ですが、家族はだれも銃火器を持っていませんでしたし、使いもしませんでした。ですのでこれは、僕にとっても新体験でした。家族の政治的信念のおかげで、おおくのアメリカ人が銃を持っているとは知らなかったのです。たった一度だけ本物の銃を見たのは、テレビや映画以外では、警察官の拳銃だけです。

 僕と同じく、一般的な日本人が見たことのある本物の銃は、警察官の古い回転式の拳銃だけでしょう。実際に銃を手にして撃ってみると、禁断に触れたような興奮があり、二度と日の当たる場所には戻れないのでは、という気持ちになります。

 しかし、眠いうえに酔っぱらっています。僕は不思議に思いました。今夜のスケジュールはどうなっているんだ、このイベントを最後にもってくるなんて、正気の沙汰じゃない。事実、普通の感性の持ち主だったら、今夜のイベントはまったく逆の順番にするだろう。

 どうやら、射撃場に関しては、酒を飲まない人向けのようです。銃はフレームの中に備えつけられていて、制限された動きしかできません。ターゲットにしか向かないようにしてあります。もっと楽しくて現実的な射撃体験なら、テレビゲームで味わったことがあります。

 銃は小さく、銃声はおもちゃのように情けなく、銃弾がターゲットに命中しても小さい穴があくだけです。

Desert Eagle Magnum 44
健二は、そんな中、追加料金を支払い、デザット・イーグル44マグナムにレベルアップしていました。一発ごとに爆発音が鳴りひびき、とてもイヤープロテクターごしに聞こえる音とは思えませんでした。健二の不敵な笑みは、ストリップ・クラブではいやらしさの表れでした。それが今や、射撃の狂気にかられた笑みに変わっているのです。

 射撃場の係員が、健二の後ろに付き添っていました。なにも銃弾を補充してあげるためではありません。ほろ酔いの健二が、解きはなたれたデザートイーグルを、きちんと的に向けているかを確かめているのです。健二が暴走して、危険なものを狙いはじめたらマズイですからね。

 健二だけが、備えつけでないハンドガンを持っていたので、思い出に撮ったのは、健二がデザート・イーグル (弾は入っていませんよ) の銃口を額に当てている写真です。健二は銃口をくわえようともしましたが、係員から衛生上の理由で止められていました。

旅のその後


 あとの二日間は、ビーチで過ごしたり、火山に行ったりしました。どちらも強制ディナーと強制ショッピング付きです。どちらの日にも、初日の夜のようなことはありませんでした。マウイ島の砂浜はほんとうに楽しかったです。あまりに混んでいることを除けばですがね。

Chippendales
女性の内緒の行動は、何でしょう?
女性社員たちに、オンナたちの夜遊びツアーはどうだったかと聞いてみました。彼女たちは、くすくす笑ってただ一言

「ひ・み・つ。」

 帰りの飛行機の中で、同僚の一人が僕に聞きました。アメリカ人として、ハワイでの『アメリカ』はどうだったかと。僕は答えました。

「あれはちょうど、日本人にとってのカリフォルニアロールと同じようなものだよ」と。

アロハ。